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昭和編16 昭和63年3月号 青函トンネル・瀬戸大橋開業号
時刻表から見た日本の目次にもどる
今回は昭和63年3月号(定価780円)を紹介しましょう。この号は3月
13日ダイヤ改正号で、津軽海峡線(青函トンネル)開通 4月10日の瀬戸
大橋線開通がメインとなっている。また前回からの大きな変化は1年前の昭和
62年4月から日本国有鉄道がらJR(6旅客鉄道会社 1貨物鉄道会社)の特
殊会社に移行したことである。
まず津軽海峡線は愛称で、実際は従来の津軽線(青森・中小国間) 江差線
(木古内・五稜郭間) 函館本線(五稜郭・函館間)と、新規路線の海峡線(中
小国・木古内間)の総称である。そして青森・中小国間がJR東日本 中小国
・函館間がJR北海道となっている。
列車の方は青森・函館間の快速海峡号が8往復で所要時間は平均2時間半、
盛岡・函館間特急はつかり号が2往復、上野・札幌間寝台特急北斗星号が定期
2往復 臨時1往復、大阪・函館間寝台特急日本海号1往復、青森・札幌間夜
行急行はまなす号1往復という状態である。また青函トンネル海底駅(本来の
役目は防災拠点)の竜飛海底 吉岡海底駅の見学コースが2コースあり、青森
から函館コースは吉岡海底駅 函館から青森へコースは竜飛海底駅の見学とな
っていて、見学は専用指定券が必要で各コース50人の団体見学である。
この号の表紙写真は青函トンネルから出ている試運転列車(快速海峡号編成)
であり、トンネル入り口の名前プレートの字は時の首相である中曽根康弘氏の
書体となっていた。
実は3月13日は青函トンネル開通日と共に、青函連絡船の就航日を1日ず
らしこの日が最終日としている。青森発9便 函館発8便の就航で、最終便は
青森 函館とも1700出帆となっていた。
瀬戸大橋線も愛称で、従来の宇野線(岡山・茶屋町間) 予讃本線(宇多津
・高松間)と、新規路線の本四備讃線(茶屋町・宇多津間)の総称である。そ
して岡山・児島間がJR西日本、児島・高松間がJR四国となっている。なお瀬
戸大橋線の宇多津付近の三角線(岡山方面からスイッチバックせずに高松・宇
多津に行ける)は実は宇多津駅構内扱いであるが、運賃計算は高松方面でも一
旦宇多津経由の計算となる。列車・宇高連絡船ダイヤは3月13日から4月9
日、4月10日からの新ダイヤの2段階になって少々ややこしい状態となって
いる。
この号のトラベルニュースとして、瀬戸大橋博88岡山が児島駅前 瀬戸大
橋博88四国が坂出市番の州でそれぞれ3月20日から8月31日までの16
5日間開催される案内がなされている。瀬戸大橋博88岡山の見学客輸送のた
めに瀬戸大橋線茶屋町・児島間は3月20日の先行開業となっており、日中はほぼ1時間に4往復の運転となっていた。
瀬戸大橋線関連のダイヤ改正は、3月13日から
3月19日まで 3月20日の瀬戸大橋線茶屋町・児島先行開業 4月10日の
瀬戸大橋線全線開通という風に移行するようになっていた。
4月9日の宇高連絡船の就航状況は14往復 臨時1往復 ホーバー8往復
高速艇7往復のダイヤであった。が・・・実はこの日宇野発2325分発阿波
丸(定期便)ではまかないきれないことになって、急遽特別臨時便として讃岐
丸が本当の最終便として続行便として出港したのだ・・・乗りに行ったから分
かったことである。
そして翌日の4月10日の瀬戸大橋線全線開通し、運転本数は快速電車マリ
ンライナーは19往復で高松・岡山間ほぼ1時間に1本、松山・宇和島行きの
予讃線気動車特急しおかぜは5往復、高知・中村行きの土讃線気動車特急南風
は3往復、徳島行き高徳線気動車特急は1往復、高松・東京間客車寝台特急瀬
戸1往復という状況であった。当時マリンライナーは早朝深夜除き基本的には
9両編成でグリーン車と普通車指定席が1両ずつ 自由席は7両であり、松山
高知方面からは岡山直通のしおかぜと南風以外は、高松始発の特急・急行から
坂出での乗り換えとなっていた。この時点でのJR四国の電化区間は瀬戸大橋
線 予讃線高松・観音寺間 土讃線多度津・琴平間のみであった。
ちなみに高松駅での開業テープカットには当時の石原慎太郎運輸大臣(現東
京都知事)が参加していた。そしてこの日の多分午前中に限りマリンライナー
乗降客にJR四国の係員が記念カードを配っていた。
列車の編成ご案内のページを見ると、食堂車連結列車が相当減少しており、
東海道・山陽新幹線ひかり号 東京・九州方面寝台特急 上野・札幌間寝台特急
北斗星ぐらいしか連結されていない。寝台特急は2段式B寝台が原則で、A寝台
は大抵は1両で多くても北斗星の2両が最高で編成の質的低下は否めなくなっ
ていた。現在では北斗星はAB両寝台でも個室が原則なのと比較すると相当な
違いである。
次には久しく国際航空便のダイヤが掲載されていなかったが、この頃から再び
掲載されるようになっていた。欧州路線の主力は米国アラスカ・アンカレッチ経由
の北回り航路であり、まだ一部に南回りやシベリア上空経由のモスクワ経由など
も存在しており、例えば成田・ロンドン直行便のような存在はまだ少数派であっ
た。機体の方はボーイング747が主力で若干DC10が残っており、出始め間も
ないエアバス300が所ばかり登場している。モスクワ路線はやはり旧ソ連機の
イリューシン62 新潟・ハバロフスク路線はツポレフ154であった。ツポレフ15
4は今現在でもロシア国内ばかりか、ウラジオストック・新潟 関空路線に就航して
いるけどね。
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