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  鉄道ざっくばらん


昭和編9 昭和43年10月号


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今回は昭和43年10月全面大改正号をみてみよう。時刻表も1年前に昭和23年からB6版だったのが、現在と同じ大きさのA5版になって大変見やすくなっており、価格は180円である。


 最大のトピックスは東北本線の全線複線電化完成により、東北地方の列車網の充実であった。従来は上野・青森間運転の気動車特急「はつかり」の所要時間は10時間24分、客車寝台特急の「はくつる」は11時間30分かかっていたのが、電車特急「はつかり」は8時間30分、電車寝台特急「はくつる」9時間30分とそれぞれ2時間程度の大幅短縮されている。

 電車寝台は世界的にも例がない車両であり、夜間は寝台 昼間は座席として1編成で昼夜2役をこなし、2等寝台は3段ではあるが寝台幅は従来の52センチではなく、上段と中段は70センチ 下段は1メートルと居住性は大幅に改善されている。現在では当たり前のサービスである浴衣は、この電車寝台が登場してから初めて2等寝台に備え付けられた。投入区間は上野・青森間と新大阪・熊本間と1年前投入された新大阪・博多間のみである。当然他の2等寝台が800円から1,000円のところ1,100円から1,300円と少々高くなっていた。

 新幹線はこの時は最大1時間あたりひかり・こだま各3本ずつ計6本の運転となっていて、所要時間もひかりは東京・新大阪間3時間10分の運転となっていた。また新幹線に接続する山陽・九州方面の特急・急行も多数運転されてはいたが、特に九州方面は夜行急行が主力で寝台特急はまだ少数派であった。昼行も電化が大分、熊本までなので鹿児島 宮崎 長崎 佐世保については気動車か客車での運転である。


 この頃の国内航空は、日本航空 全日空 東亜航空 日本国内航空の4社体制であった。まずジェット機の離着陸可能な空港は羽田 伊丹(大阪) 名古屋 千歳 福岡 宮崎だけで、あとの空港はプロペラ機しか離発着できない状態であった。飛行機機種もジェット機はボーイング727、プロペラ機は国産機YS-11が主力であとはフレンドシップ(オランダ)やバイカウント(イギリス?)が日本の空を闊歩していた。料金は例えば羽田・高松間片道9,400円であった。ちなみに鉄道・連絡船利用(東京・新大阪はひかり指定席 新大阪・宇野は在来線特急指定席)の場合は、2等4,120円 1等7,270円であったからそれよりも高くて、到底庶民が滅多なことがない限り気軽に利用できるものではなかっただろう。

 変わった運航としては、千歳 羽田 伊丹 福岡間相互に日本国内航空が真夜中にYS-11で運航していた。例えば福岡を深夜230分に出発して伊丹経由で555分に羽田に到着。その後羽田から720分発の日本航空のジェット機で出発し、830分には千歳に到着できるという神業ができるのである




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