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  鉄道ざっくばらん


昭和編4 終戦直後


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 今回は戦後直後昭和20年9月から昭和23年までの時刻表も混乱を極めた時代を紹介したい。この間昭和22年までは全線全駅掲載の時刻表はA5版で5回出版されたのみで、後は今でいうリーフレットのような全国主要線主要駅主要列車掲載バージョンや地方バージョンでこれに定価がつけて販売していたようである。昭和22年6月号からは全国主要駅時刻表が64ページB5版で毎月発売された。昭和23年からはB6版に統一されたが、全線全駅掲載は3,7,12月号のみで後は依然として全国主要駅時刻表バージョンであり、昭和24年からようやく元の全線全駅掲載毎月発行に戻ったのである。

 次に時刻表の定価であるが、昭和20年9月号・1円 昭和昭和21年2月号・5円 昭和21年8月号・10円 昭和21年12月号・10円 昭和22年12月号・40円となっており、何とわずか2年ほどで40倍の超インフレーションであった。


 さてそれでは昭和21年12月号から見ていくことにする。 まず時刻表に掲載されていても運転休止または部分運転休止で本来直通列車が虫食い状態となっており、長距離の移動は時刻表上からも困難であることが伺いしれる。東海道本線でも急行は博多行・門司行(広島以西運転休止)・大阪行の3往復だけである。これとても石炭事情悪化によりこの1箇月後には全国から急行と2等車連結がなくなり、戦時中よりもさらに悪化し暗黒の状態になっていく。

 また夜行列車でない限り、最終列車が20時や21時台とやたら早いのが全国的に見られる。そのくせ朝の始発列車は今と同じぐらいに5時台からしっかりとあるのが特徴である。例えば宇野線の岡山発の最終列車が2035分であるからちょっと残業したら帰れなくなってしまうほどである。


 当時は戦前の鉄道省ではなく運輸省直轄でとなっており、日本国有鉄道と公社制になったのは3年後の昭和24年である。時刻表の中に『国民の鉄道建設に是非貴方のご意見を!』がタイトルの記事があった。これは東京鉄道局旅客課が声の交換室を設置し、また主要駅に声の交換版を設置して、投書やクレームを参考に日頃の業務の運営に生かそうとしている。そのうえこれらに1つ1つ回答していくとあるので、現在と比較しても遜色ない制度である。しかもこの主体は官公庁である点注目したい。それと今も発刊されている『旅』という旅行雑誌が戦後11月号から復活発刊したという広告があり、また『日本旅行倶楽部再発足 会員募集中』とあった。

 巻末の広告は銀行 証券会社 大手私鉄会社 デパートが主を占めているが、常連だった旅館・ホテルの広告はまだウェートが少ない。宣伝している会社はすべて首都圏の会社がほとんどで、旅館・ホテルは東京都内か伊東・熱海のものがほとんどを占めていた。



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