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  鉄道ざっくばらん


大正編1 大正4年3月号


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 今回は大正4(1914)年3月号(庚寅新誌社発行)を見ていくことにしょう。この前年には煉瓦造りの東京駅・丸の内側駅舎が完成している。この頃まだ山手線は環状運転しておらず、中央本線,総武線も今のようにつながっていなかった。従って東北・北海道方面は上野,甲府・松本方面は飯田橋,千葉・房総方面は両国橋からが起点となっており、これらの間は東京市営の路面電車などで移動する事になっている。また国内は米原から日本海沿いには富山,直江津,新潟,村上までとなっていて、村上・秋田間は未開通であった。山陰は京都から鳥取,松江,大社まで、熊本から以南は八代,人吉経由して鹿児島(現在のような海岸線経由はまだ未開通)まで開通している。本四連絡は現在の宇野線と宇高連絡船が明治43年に開通しており、宇野線は8往復で所要時間はほぼ1時間10分,宇高連絡船は5往復で所要時間は1時間15分かかっていた。


 朝鮮・大陸方面を見ていくと、前号で未開通であった鴨緑江の朝鮮・満州国境の鉄橋は完成している。したがって釜山から京城(ソウル),平壌(ピョンヤン)を経て奉天(シェンヤン)まで鉄道でいけるようになっていた。ここから南満州鉄道で大連,北京,長春,ハルビンにつながっている。ハルビンからは、ロシア・ウラジオストックからこのハルビンを経て,満州里,チタの手前でシベリア鉄道になり(現在のハバロフスク経由のルートは1916年開通)、イルクーツク,モスクワ,ペトログラード(当時のロシアの首都・現在のサンクト・ペテルブルク),その果てパリまで鉄道で行けるようになっていた。日数はおよそ半月要していたが、当時ロンドンまで船で行けば約2ヶ月はかかったから相当の短縮にはなっていたわけである。


 さてさて前回と比べて札幌から熊本,鹿児島への移動時間はどう変化しているのか見てみよう。まず札幌842分発の函館行き急行に乗車し函館には1920分に到着する。函館からの青函連絡船は23時の出港で青森には翌朝の4時の入港し、6時発の上野行き食堂車付き急行に乗車する。上野には2250分に到着して東京で1泊する。そして翌日の3日目の8時に東京発下関行きの特別急行に乗車する。この列車には1,2等寝台,食堂車,展望車が連結されていて当時としては豪華列車であり、寝台の定員は1等が22,2等が24,そして2人用寝台(個室ではない)が4ある。途中名古屋は1608分,大阪は2033分,岡山は翌日034分,広島は440分,終点の下関には4日目938分の到着である。ここから関門連絡船になるが1005分出港で門司には1020分到着する。ここから鹿児島行きの急行となり1045分に出発し、熊本に1533分,鹿児島には2118分に到着する。熊本での前号比較は所要時間が9時間56分の短縮となる。



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