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  鉄道ざっくばらん


明治編2 明治40年3月号


 時刻表から見た日本の目次にもどる

 今回は日露戦争が終わってしばらくの明治40年3月号(庚寅新誌社発行)を見ていこう。日露戦争以後の日本の鉄道は前年の10月から全国の主要幹線を経営している山陽鉄道,日本鉄道などの私鉄17会社の国有化が順次1年かけて実施されている。このころの鉄道網は東京中心にみると西は鉄道で八代,長崎(下関・門司は鉄道連絡船)、北は東北,奥羽本線,常磐線は全通、北海道は函館から札幌,名寄まで全通、上信越方面は長野回りで直江津,新潟まで全通、また甲府,松本,長野まで全通している。北陸は米原から富山まで、四国は高松・琴平間,伊予鉄道,徳島線の一部で、本四連絡船は高松・岡山(まだ宇野線はない)と多度津・尾道間であった。


 次に前号と同じように札幌から熊本までの移動をしてみよう。札幌を615分に出発して小樽に730分に到着、ここで乗り換えをして8時に函館にむけて出発し1910分に到着する。函館2130分に青森行きの船に乗って青森到着は翌日早朝の330分である。青森からは2日目6時発の上野行きに乗車して24時間後の3日目の6時に到着する。そしてここから西へは新橋からは、8時発神戸行きの最急行(特急)に乗車して東海道を下っていき神戸には2120分に到着する。神戸からは2240発下関行きに乗車して山陽路をゆくことになり、下関には4日目の1410分に到着となる。ここから関門連絡船で1445分に出て門司には15時に到着し、門司(但し現在の門司港駅)からは1645分発の熊本行きに乗車して、熊本には2302分に到着するのである。前号で紹介した明治27年11月当時は7日目の1331分であったので、3日以上も短縮している。ここでは東海道・山陽本線最急行(特急),急行がようやく登場している。


 当時は台湾,朝鮮も日本の植民地であったので鉄道時刻表や下関・釜山間の関釜連絡船の時刻表も掲載されている。朝鮮方面は釜山から京城(ソウル),平壌,新義州まで開通していた。朝鮮と満州(中国東北部)国境の鴨緑江に架かる鉄橋はまだ未開通である。時間間隔は下関を22時に出発し釜山には翌朝の9時、ここから11時発の急行に乗り換えて西大門(ソウル)には2202分に到着するから所要時間はほぼ24時間となる。

 
 時刻表にしめる汽船関係のウエートが、今と比べて非常に高いのが目立つ。国内移動も鉄道でいけないところとの交通・・・例えば小樽から稚内,オホーツク沿岸を南下し網走、函館から釧路,根室,国後・択捉島、大阪から瀬戸内海をへて下関,日本海沿岸の港町をへて境港、大阪から紀伊半島の港町をこまめに回り熱田(名古屋)、大阪から下関,博多,長崎,鹿児島などである。これらは月に数回多くても週1,2回ぐらいであって、これらの汽船が郵便物を運ぶ唯一の手段なのであった。


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