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  鉄道ざっくばらん


関東遠征たより パート2 常陸太田巡り


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 ここではFPフェアー終了の翌日の10月1日に水戸観光したので、これの旅の様子を紹介したい。この日の朝上野から常磐線及び水郡線で常陸太田に午前9時前に到着した。ここから西山荘まではバスで移動だが、バスダイヤがしっくりしないのでタクシーで移動することとなる。常陸太田の中心街を通り抜けて程なく10分程度で西山荘に到着した。


 さて西山(せいざん)荘はテレビでお馴染みの水戸の御老公様・・・徳川水戸家第2代目の徳川光圀公の御隠居所で1690年から10年間お過ごしになられた有名な名所である。そう!2000年は没後300年という意味のある年なのであった。ちなみに水戸黄門の黄門は権中納言(御隠居の時に5代将軍綱吉から賜った官位)の中国名が黄門で、一般的には光圀公のことをさすが水戸家では以後6人の黄門様が登場するのである。タクシーで到着したところは西山の里・桃源という休憩所とちょっとした公園になっており、ここはあわせて当地の観光物産店になっているのである。そしてこの公園を通り抜けた奥に西山荘の入り口がある。入った直後から閑静な自然に囲まれて、またその自然を生かしつつ荘内が作られているのであった。また山に囲まれているのでなおさらそう感じるのであろうか・・・。そうして自然にたたずみながら散策しているうちに御殿にたどり着いた。御殿といっても質素な茅葺き作りで、1回消失していて現存のは規模縮小して1819年に再建された建物である。書斎の丸窓と梅の木の位置とテレビに出てくる御印籠の事だが、前者の方は事実この通りでここを参考にしてテレビの方はロケセットしているようだ。後者の御印籠の方はここに御使用されていた御印籠の現物が展示されていたが黒地に葵の御紋だけであって、テレビで出てくるような葵の御紋のしたに波などはみられなかった。これは後日分かったことであるが、テレビのはこれを参考にして目立つように少し大きく(ということは実物は小さい)したそうだ。帰りは通用門からでたがどうも通用門の方が表門より作りがよいのが不思議である。そして西山荘の入り口の事務所に再度立ち寄ってやっぱり悪趣味といいつつ御印籠を買ってしまうのである(笑)。再び休憩所にもどって物色していたらテレビの水戸黄門のロケの写真などが張っていたのを見つけた。休憩所でバスの時刻を確認したがこれまた予定のJRのダイヤとあわない(といっても1時間50分はあったが)ので電話でタクシーを手配した。10分したらやってきて常陸太田駅へ行こうとしたが、運転手が観光客とみたのか・・・「瑞龍(ずいりゅう)山へいきませんか」といわれた。列車の時間を言ったがいけるとのことで、いつもの気まぐれな性分か行ってもらうことにした。移動の間さすが地元のタクシーだったので常陸太田の事やこちらが高松から来たといったので話がますます弾んでしまった。というのは高松松平家の初代藩主の松平頼重公は徳川光圀公の兄である。これにはいわれがあって頼重公がお生まれになったとき水戸家初代藩主の徳川頼房公は兄に子供がないのを気にして家臣に託してしまって、後に家督を光圀公に譲ることにしたためである。


 さて15分ほどで瑞龍山についたが、ここは徳川水戸家歴代の墓地である。で・・・この墓地は非常に広く2つの山から成り立っていて、しかも光圀公の墓地は山の頂にある上に、第9代の徳川斉昭公の墓地は別の山の頂でちょっとやそっとではこの二つは回れないことが現地で分かった。しかも歴代14代のすべてをお参りしたら1日はしっかり健脚の世界であるのだ。で一応なにゆえか有料であるが閑散期であったために事もあろうか私だけのために管理人さんの案内となる。以上のようなことなのでこちらの希望(光圀公の墓地へ行ってみたい)を行ってみると適切に組んでいただけた。光圀公の墓地の前には寿蔵碑堂があり中には寿蔵碑があって『梅里先生墓』と記されているそうである。その奥に墓地があるのだがこれが独特の作りをしていた。というのは光圀公と傍らに正室の墓標があり、それが亀の上にのっていた。しかも正室の墓標がやや小さいことである。そして後ろには小山がもられていた。これらは儒教の教えにより作られているとのことであるそうだ。管理人さんにどちらからこられましたかときかれてこたえたら、第3代綱條(つなえだ)公の墓地へ案内された。というのは綱條公は光圀公の兄頼重公の子供であって水戸家へは養子としてむかえ、光圀公は実子頼常公を高松松平家へ養子としておられるので、その関係であろう・・・水戸観光にはどうも高松出身は誠都合のタイミングであるようだ。ここから帰りの間管理人さんとの雑談であるが、徳川水戸家当主の墓参には御殿(ここにある)から出発するそうである。何せ歴代藩主は回りきれないから2代前からの墓参となっていて、1代ずつ御殿から出て墓参してから1回御殿に引き上げてから再度墓参するという手順を踏んでいるとの事である。また斉昭公の墓地へ行く途中の通路でNHK大河ドラマの徳川慶喜のロケの話もしていただけた。そういえば斉昭公が逝去されたおりに慶喜公がこっそり江戸をぬけてここに来たときのシーンの放送があったなぁ・・・。


 こうして管理人さんにお礼を述べ瑞龍山を去ることになり、再びタクシーに乗車する事になる。そして常陸太田は盆地に囲まれているので、回りが雪が降っても、この地は雪がなかなか積もらないそうである。そして常陸太田の中心街は高台の上にあるとも運転手は話してくれた。こうして予定外の瑞龍山タクシー観光であったが、大変有意義な時間が過ごすことができてよかった。そして1153分発の列車で水戸へ向かうこととなる。


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