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  高松風土記


高松風土記20 観光都市高松


 さて昭和初期の高松は観光ブームに沸いていたようであり、その中心となるのが昭和3年の高松港改良工事竣工、昭和9年の瀬戸内海の国立公園指定であり、これらにあわせて様々な施策が行われることになっていきました。


 まず昭和3年に高松港改良工事竣工を記念して、3月20日から5月10日までの期間に高松城跡で、全国産業博覧会が高松市主催で開催された。入場者数約49万人と盛況であり、各府県・朝鮮・台湾・満州・蒙古各地からの特産品の展示出品や実演など中心に、各種アトラクションも催されていました。またこの期間中には、全国や四国規模の会議も、全国教育者会議(5000人)、全国市町村大会(1300人)など多数開催され、高松は会議都市の様相を呈しているほどで、その後の企業進出や観光事業促進に大きな影響を与えました。

 昭和2年12月に国立公園協会が結成、昭和6年に国立公園法の制定され、昭和9年3月16日小豆島、屋島、塩飽諸島中心とした備讃瀬戸(香川、岡山、広島)の地域の瀬戸内海が、霧島、雲仙とともに国立公園第1号として指定されました。


 高松の観光はなんといっても、屋島と栗林公園があげられるが、屋島には昭和2年3月に屋島登山鉄道(株)が創立され、昭和4年4月21日にケーブルが開通し約5分で登頂可能となった。それまではふもとから四国霊場第84番屋島寺にいたる急勾配の遍路道を上るほかなかった。昭和9年11月には史跡(安徳天皇行宮跡、屋島城跡、源平古戦場跡)及び天然記念物(岩石露出溶岩台地としての火山岩構造)に指定された。この頃屋島までは、高徳線及び四国水力鉄道電車(現ことでん志度線)がすでに開通していたが、道路としては、昭和10年から3年計画で2車線四国初のコンクリート舗装で、国道22号線(旧国道11号線/通称観光道路)が高松市塩上町から屋島・八栗間の工事が開始された。


 栗林公園は明治初期には荒廃状態であったが、明治30年代から順次整備されはじめ、北園も新たに整備されてほぼ現在の栗林公園が形作られた。正門は現在の北門であって、高松桟橋駅から四国水力鉄道電車で直接いけるようになっており、またそのまま乗り換えなく屋島のふもとまで行けたから観光にはもってこいだったと思われる。大正11年3月には、史跡名勝天然記念物保存法により名勝地に指定されるようになりました(昭和28年3月特別名勝地に昇格/四国唯一)。ちなみに特別名勝地は全国に23庭園しかなく、後楽園(岡山)、兼六園(金沢)、金閣寺庭園、天龍寺庭園などと同列扱いなのですよ。

 余談にはなりますが、平成14年9月末まであった栗林動物園は昭和5年に四国初の動物園として、現在の東門南の駐車場付近にありました。実はここには以前25㍍プールが動物園の中にあったのを記憶しております。



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