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  高松風土記


高松風土記19 大正後期頃の交通


 さて明治30年代中心に行われた改築工事は、香川県における高松港の地位を向上させ、また明治43年の宇高連絡船就航によって貨客ともに利用が飛躍的に増加しており、これは入港回数の増加と船の大型化が推測できる。そうして再度高松港の港湾拡張の必要性に迫られてくるのであった。そして大正10年6月に内務省から第2種重要港湾に指定され、大正11年6月に港湾管理が高松市から香川県に移行したのである。

 大正12年に高松港拡張工事は開始され、防波堤の築造、玉藻町付近の海面埋め立て、護岸、港内の浚渫により水深を深くして1500トン程度の船舶の接岸を可能すること、県桟橋や鉄道桟橋の移転などが行われた。工事予算は国庫負担が1/2、後は香川県と高松市の折半で220万円であった。


 次に鉄道関係では、大正14年8月に高松・志度間に高徳線が開通した。当初この間の駅は屋島だけであったが、同年12月に地元有志による土地寄付によって栗林駅が開業された。その後は大正15年3月に讃岐津田、昭和4年4月に引田、そして高徳線全通は昭和10年3月であった。

 また大正13年には現在の高松琴平電気鉄道(株)の前進である琴平電鉄(株)が創立し、正15年12月に栗林公園・滝宮間、昭和2年3月に滝宮・琴平間、同年4月には琴電高松(現瓦町)・栗林公園間が開通した。琴電高松・琴平間は多度津経由の約半分の1時間で行くことができ、当時としては最先端の1500ボルトの高速運転可能な電車での運転であった。この時の電車の一部が現在ことでんのレトロ電車3両(120 300 500)として存在している。

 一方大正2年10月に出晴(現ことでん瓦町駅志度線乗り場付近)・志度間に開通していた東讃電気軌道は、大正6年7月までには四国水力電気軌道と経営主体が変わった上で、出晴・栗林公園北口・八本松・高松築港間を開通させている。


 バスは大正8年に、香川自動車(株)が高松・穴吹路線を開設したことにより高松に登場した。この頃は幹線道路とは行っても5メートル前後の未舗装の悪路にもかかわらず、零細会社が数多く路線網を拡張していったのである。


 そして最後は航空機である。大正11年に日本航空輸送研究所が大阪(堺)・高松間週1回の定期航空路線を開設した。昭和4年には大阪(木津川河口)・高松・松山路線となり、昭和9年には別府まで延長され昭和15年まで運行された。飛行機は水上機10人程度の定員であって、高松港の西の西浜に発着場が設けられていた。 


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