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  高松風土記


高松風土記17 小作争議と伏石事件1


 さて大正10年前後の香川県内農家の7割が、5反未満の零細農家であり、小作率もほぼ7割を占め、反面10町歩以上の大地主が約450戸、50町歩以上の巨大地主が約70戸もあった。しかもこれらの大地主の多くは村以外にいる寄生地主であるので、小作人の生活環境について無理解になっていくのであった。

 1町→10反→1ヘクタール→1万平方メートルと概ね読み替え可能。
 1石→10斗→100升→1000合→180リットル→150㎏と概ね読み替え可能。


 さらに小作人の置かれた状況を見ていくと、当時の香川県下の1反あたりの平均収穫高は約2石4斗、そのうち平均的小作料は1石3斗であった。また小作米を地主に納めるときに米穀検査を合格した米を、地主は倉の前であけさせて計り直す斗見という習慣があり、斗棒で押し込めば最低でも3合は余分に入っていたようである。その上地主の倉に入るまで目減りがあるという名目で、1俵(約60㎏)につき2升(約3㎏)程度の込米を別途納めなければならなかったから、たまったものではない。

 そして小作人が小作料の不満を漏らそうものなら地主に土地を引き上げられ、香川県の土地の狭い事情もあり、さらに高い小作料で耕作する小作人が存在した。これを股カキと呼ばれ、このために小作料は上がる環境にあった。さらに香川県の特殊な制度として甘土料の慣行があった。甘土は耕地表層の肥沃な土壌のことであり、これの使用料と小作の保証金に相当するとして、1反あたり小作料とは別に前納させていた。これが払えない場合は小作料が2斗ほど高かった。


 このような背景で小作争議が活発になる推進役をになうのが、大正11年4月に設立された日本農民組合であり、この年11月から香川県内に次々と支部が発足していき、大正15年6月には県内支部数140、組合員12,055人を有する日本農業組合香川県連となった。これは県下の小作人の1/3の参加、全国1番の大組織となる。そして大正11年から昭和2年までの香川県内の小作争議の3割に関わり合いを持つことになるのである。

 そして当時の香川郡大田村伏石では、大正11年夏の干ばつで小作料の永久2割から3割の減を目指して地主と争っていたが、日本農業組合に加入して争議の継続をはかるため、大正12年3月に日本農業組合伏石支部が結成された。当初80人だった組合員は、伏石事件の起こった大正13年には300人にまでふくれあがった。これは組合員自作農や地主の加入も認めており、幹部たちは後に大田村議員や農会長を務める人もいて村民の信頼も高かったこと、そして周囲が加入するので、近所づきあいや水利の関係で孤立できない事情で加入しており、いわば日常の協同的慣行に乗っかって組織が拡充された面もあった。このような背景を持って伏石事件が発生したのであった。


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