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  高松風土記


高松風土記16 上水道整備2


 さて前回の第15回でも話題にあげたとおり、高松市の浄水設備は取水量が計画したものより著しく少なかったので、数次の拡張工事に迫られた。大正12年に水源調査委員会が発足して検討され、水源地の御殿浄水場付近に貯水池を築造する案があげられたが予算が莫大なものと見積もられたので、当面は本津川からの移水とさく井の掘削が実施に移された。


 大正12年12月に当時の香川郡香西町の本津川に堰を設置して取水して、送水管で御殿浄水場に送るものであって、翌年3月に竣工した。これは非かんがい期の余水利用であったから冬の渇水には有効であったが、夏のかんがい期での渇水軽減にはほど遠かったようであった。

 引き続き大正14年12月に、給水人口8万人、1日最大給水量6,900㎥の計画で、高松市楠上町、同桜町、香川郡香西町(香西町が高松市になるのは昭和31年)にさく井を1本ずつ掘削し、ポンプ場を設置するというものであった。大正15年4月に内務省の事業認可が下り、同年11月までにはいずれも竣工された。続いて楠上町のさく井に急速ろか池と貯水池が計画され、昭和2年7月に竣工された。これにより本津川からの移水が中止され、また夏のかんがい期の御殿水源地での取水も中止されたので、懸案の香川郡弦打村への稲作補償問題も解決されることになった。


 しかしながら昭和3年になると、夏の渇水期の需要が供給能力に追いついてきたので、昭和5年4月に香川郡香西町にもう1本さく井を掘削することになり、同年7月に竣工した。

 それでも昭和8年には供給能力に需要がきわどい事もあったので、昭和9年8月に内務省事業認可を受けて、楠上町にもう1本さく井を掘削し、急速ろか池を2つさらに新設して、昭和10年7月に竣工された。しかしながらさく井からの取水量は年々減少され、地下水脈の関係からこれ以上のさく井掘削は不可能となる。


 昭和11年3月の市会に拡張計画が提案され、御殿水源地に非かんがい期の余水を貯水する御殿貯水池の築造であった。この計画は、給水人口8万人、1日最大給水量1万6千㎥であり、有効貯水量52万㎥、そしてこれを御殿浄水場に導水するというものであった。しかしてこれは大事業であったため、市会での議論が長引き、また内務・大蔵省への起債の認可が、昭和12年の支那事変(←現在においても日本政府の正式呼称であって、防衛省防衛研究所戦史室や厚生労働省援護局などで使用されている)の影響で手続に手間取り、昭和13年2月にようやく着工にこぎつけたのである。ところが用地買収、民家立ち退き交渉、工事に必要な資材確保が次第に困難となって工事は延々と進まず、昭和17年10月からは市民の勤労奉仕も投入されたが、昭和20年5月には工事自体が中止され、戦後昭和22年に再開され、昭和28年12月にようやく竣工されることになるのであった。


 

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