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  高松風土記


高松風土記15 上水道整備1


 今回は 高松に上水道が整備される前の、水の給水事情はどうであったか少しばかり紹介していくと、旧香東川の流路に沿う伏流水や石清尾山系の地下水を水源とした地下水などを元にしている、共同井戸が日常の生活水となっていた。そしてこれらの井戸から、木桶 竹桶 土管などで引いて各町内の辻井戸や各家の井戸に配水するというもので、すでに江戸時代には整備されており明治に入っても引き続き利用されていた。井戸やその他設備の維持管理は、それぞれ水利土功会という組織が作られていた。しかし水量不足に悩ませられたり、下水の不備で汚水が上水にしみ込み不衛生になり、毎年のように伝染病が発生していたのであった。 


 高松市の上水道敷設は明治23年の市制施行の頃から世論があり、明治41年に市会に上水道敷設事業調査期間が設置され、明治45年8月の市会で上水道敷設議案が可決されたのである。そして国庫補助の申請を内務省にしたが、他都市の申請が多くてこの時は却下された。大正2年7月に再度市会で修正可決したのち、翌年3月内務省から上水道工事が認可された。

 しかし第1次世界大戦に伴う鉄管などの資材の高騰、水源地の取水に伴う問題などで予算がふくらむなどして、大正10年9月1日通水がようやく開始されることとなった。

 この上水道は、香東川に154.5メートルの木製取水渠(きよ)を埋設して伏流水を取水する。そしてそれをポンプでくみ上げて傍らの御殿浄水場に送水してろか池でろかして、再度ポンプで西方寺山高台にある配水場に送水する。この配水場には、1日最大吸水量8,340立方bの半分を貯水できる配水池があり、ここからの自然硫下により当時の市街地に配水するというものであった。


 当時の水道料金は、1戸5人までは1ヶ月1円20銭、それ以後家族が1人ます毎に15銭増し、営業用については現在と同じ計量制であった。ところが上水道が完成してみたものの2つの問題が発生してきて、

 御殿水源地における香東川の伏流水が予定より極端に少なかったため、夏・冬の渇水期には例年のように断水を余儀なくされた。
 香東川対岸の香川郡弦打(つるうち)村(現在の鶴市町付近)との水利紛争であり、取水によるため池や井戸の水位の低下などによる農業用用水への紛争対策、それに伴う補償問題。

であり、時には交渉が長期化して、香川県が調停にはいるなど深刻になりつつあった。


 このような調子なので、水道の取り付け件数も思うように伸びず、市民の間にも不満が発生して抜本的解決を図る世論が高まってしまった。この対策で高松市は新たな水源地確保を迫られることとなり、戦前に4次に渡る上水道の拡張工事が実施されることとなるのである。


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