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  高松風土記


高松風土記14 第1次〜第3次合併


 今回は大正時代に3回行われた高松市の合併について紹介することにします。この時高松市と合併したのは、大正3年5月1日に香川郡宮脇村、大正10年1月1日に同東浜村 大正10年11月1日同栗林村の3村であった。合併当時の各村の面積 人口 及び合併後の区割は、

1,宮脇村
 面積 2.73? 人口 3,750人 宮脇町 西浜新町

2,東浜村 面積 2.27? 人口 7,085人 福岡町 松島町 塩上町 花園町

3,栗林村 
 面積 1.94? 人口 7,574人 藤塚町 中野町 上之町 栗林町 花ノ宮町 桜町 楠上町

となり、合併後の高松市の面積は2.85?→9.79?の約3.43倍、人口は約4.2万人→6.1万人の約1.45倍となっている。


 次に合併した当時の3村の特徴などにふれてみましょう。 

1,宮脇村 
 旧高松城城下町の一角と言っていいぐらいであり、高松の氏神様である石清尾八幡神社、藩主別邸宮脇下屋敷もあった。明治になってからは、紙の製造・販売所が多く、また高松市伝染病院 県立高松商業学校 姥ケ池墓地 西方寺墓地など高松市の公共施設がすでに多く設置されていた。このように宮脇村が当初から高松市になっていないのが不思議なぐらいではあるが、これは村の中心だった現在の昭和町や幸町付近が一面の田んぼだったためらしい・・・。

2,東浜村 
 旧城下時代には、志度街道の人馬継立所が置かれ商家が立ち並ぶ繁華な町であった。明治に入ってから丸高製紙 日本瓦斯高松工場 倉敷紡績高松工場(現在の高松商業高校 高松中央高校付近にあった)などの町工場が多かった。海岸沿いには塩田があり、また近郊そ菜農業地として野菜の生産が盛んで松島大根は特に有名だったようであった。明治31年には高松西の丸にあった高松監獄(刑務所)が、現在の所在地に移転してきたのである。

3,栗林村 
 ここは全国にも名だたる栗林公園を要しており、金比羅街道と仏生山街道(御成街道)の分岐点という地だったために、商家や旅籠もある要所だったようである。また古くから香東川の伏流水をもとにした手漉き和紙の産地であって、製紙工場が18も集中しており、財政的にも非常に恵まれた村であった。ちなみに栗林公園は、合併の翌年の大正11年に史跡名勝天然記念物法による名勝に指定され、全国に天下の名園として知られるようになった。


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