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  高松風土記


高松風土記13 近代文明の開化


1,郵便局と電話

 昭和27年の電電公社発足までは、郵便・電報事業と電話事業は、共に国営事業であって郵便局がそれらの業務を取り扱っていた。

 高松では明治5年7月に郵便取扱所が片原町に設置され、翌6年に郵便局に昇格、明治9年に兵庫町に移転した後、明治11年に内町に庁舎を新築移転、明治22年に高松電信局と合併、そして明治24年に現在の高松中央郵便局の場所に木造2階建て延べ260.7uの庁舎が新築され、県下の郵便事業の中枢的機関となり、明治36年には四国四県の郵便事業を管轄することになる。 電話は、明治40年2月に高松電話交換局が内町で業務が開始された。この時の電話加入者は144口であった。


2,発電所とガス

 高松に初めて電灯がともったのは明治28年11月3日であった。当時は高松電灯株式会社が内町に発電所を設置して、主に官庁や商店・旅館・劇場などが主要な供給先であった。しかし電灯料が10燭光1灯で1ヶ月1円26銭、米1升が8銭という時代だったので高額で、一般への普及は困難であった。

 ガスは明治42年に日本瓦斯株式会社が出張所を設置し、明治44年7月に供給開始された。当時は灯火用として利用されることが多く、当初3460灯の需要があった。今のように熱源として使われ出すのは大正3年頃からである。


3,新聞

 高松での発の新聞は、明治14年8月3日に『腰抜新聞』が日刊紙として発刊された。当時新聞を購読する人が少なく経営が成り立たなく翌年9月に廃刊した。

 明治22年4月10日に『香川新報』が日刊紙として発刊された。また明治35年11月17日に『讃岐実業新聞』が創刊され、後に『讃岐日報』『四国民報』と改題してゆく。これらの2社が競い合い、昭和16年の戦時新聞統合方針によって統合され『香川日日新聞(後に四国新聞となる)』と紙名を改めるのである。


4,百十四銀行

 明治11年に香川初の銀行として、第百十四国立銀行が開設され、当時は今の日本銀行のように兌換紙幣の発行権も持っていた。しかし明治15年に日本銀行が設置され、明治16年の国立銀行条例の改正によってその権限を失い、明治31年10月6日までに発行した銀行紙幣を消去させられた。そして明治31年10月7日に『株式会社高松百十四銀行』が現在のような私立銀行として出発することとなった。 


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