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  高松風土記


高松風土記10 高松港


 高松は過去3回にわたって港の大規模な工事がなされており、その都度高松の発展に直結しているのであった。その1回目は明治30年から明治41年にかけて4次にわたる造築・拡張工事である。


 第1次増築工事は、明治23年頃から動きがあり、海上交通の発達や船の大型化に対応するのには、現状の港では対応できていない(当時は多度津港の方が栄えていた)ので、港の近代化をはかろうとした。その工事着手までの過程で、竣工後の管理・運営を高松市は市営、香川県は国営での違いがあって対立したが、結局の所市営で落ち着くのであった。こうして明治29年8月に内務大臣の認可があり、以下のような増築工事がなされた。

1,工期 
 明治30年7月から明治33年3月

2,工費 
 194,631円9銭(参考 明治33年高松市歳出予算 81,819円28銭)  

3,工事 
 東防波堤 494m  西防波堤 549m 浚渫 港内平均水深3m 埋立 堀川港等約49,500u これが後の新湊町(現在の高松駅周辺の浜の町)となる浮桟橋の新設


 こうして第1次増築工事は竣工したが、桟橋の位置が悪くかつ水深が浅くて桟橋に係留することを嫌い沖掛かりとしたので旅客は不便だし、貨物の方も倉庫業者などの港関連の業者がここでの営業を望まなかった。こうしてこの打開のために、以下のように第2次拡張工事が実施されている。

1,工期 
 明治34年3月から明治37年9月

2,工費 
 133,428円77銭

3,工事 
 浚渫 港内約85,000uを水深4m 埋立 高松城北側約26,000u 桟橋の移転 港内の中央部に総延長153m 荷物場の設置 1,428u  東防波堤継ぎ足し 118m 
 

 第3次拡張工事は、漁港であった西浜港の浚渫及び埋立工事が明治39年から40年にかけて実施された。なおこの工事は、現在の扇町にあった高松駅を、現在の高松駅の位置に移転させるための線路敷設工事での立ち退きになる家屋の移転先に、この工事でできる埋立地にあてようとしたのである。


 第4次拡張工事では、明治40年から41年にかけて港内水深をすべて3mに浚渫し、また高松城西側の堀5千uの埋め立てを実施した。

 これらの工事が竣工した2年後の明治43年6月12日に、宇野線の開業とともに宇高連絡船が就航し、翌7月にはほぼ現在地に高松駅が移転され、高松は四国の玄関口としての地位を高めるようになるのである。


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