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旅行・香川・ロシアの館
 
  高松風土記


高松風土記8 明治初期の高松


 
明治になってからの高松は、明治4年7月の廃藩置県実施に伴い高松藩は名実ともになくなってしまった。そして高松県が設置され、県庁は香川郡高松内町に開庁されたのである。管轄は大内 寒川 三木 山田 香川 阿野 鵜足(土居村除く)の各郡及び那珂郡の25か村であった。

 明治4年11月になると、今度は丸亀県 旧多度津藩領などとあわせてから香川県(第1次)が設置され、県庁は香川郡高松内町に開庁となった。管轄は11郡1島88区374村22浦32市街 人口559,712人(明治5年6月現在)であった。明治6年2月には香川県は名東県(阿波・淡路)に併合され、高松には出張所・・・直後に支庁が置かれることになる。

 明治8年9月には、再び名東県から香川県(第2次)が設置されることになり、香川郡高松内町に県庁が開庁された。しかし県令と県人官員の対立から、戸長や警官多数が反抗して辞職したことにより、明治9年8月に香川県は愛媛県に併合されてしまい、高松には再び出張所もしくは支庁が置かれる羽目となる。

 そして明治21年12月に香川県の独立(第3次)が認められ、現在の都道府県の最後の置県であり、県庁は香川郡高松内町に開庁された。そして高松は明治23年2月15日に全国で40番目の市として発足したのである。


 このように高松は明治21年12月までは、一時期除いて県庁所在地ではなかったのが影響して、城下町時代の政治行政の中枢機能を喪失していた。版籍奉還寺に高松藩の武士階級は4,300人ほどいて、豊かな消費人口としての経済繁栄の担い手であったが、武家が没落したかわりに軍人や官吏などが新しい消費人口が育ち都市の繁栄を維持して取り戻す都市が多い中で高松は、軍隊も早い時期に丸亀(第12連隊)に取られてしまったので、これらの消費人口が育たなかった。


 この頃の高松の概要は、高松城は陸軍省の管轄となり明治17年には天守閣が老朽化のため取り壊された。港は小規模な港が4つで成り立っており、東浜港は貨物港として問屋や倉庫が建ち並び、明治7年には個人事業での埋立地に茶屋10軒による遊郭街が誕生している。内町港は当時の高松の表玄関であり、沖合まで艀を使っての乗降していた。堀川港は高松藩直轄の港で由緒ある港、西浜港は漁港として活動していたのである。現在は交通の要所である瓦町も当時は、高松市街の東南の端でありその名の通り瓦焼きの店が集まっていた。明治になって衰退した武家屋敷街の五番丁中心とする番丁付近には、中学校や香川郡役所などの公共施設が続々と建てられている。そして当時高松市街の周辺、現在の塩上町 花園町 宮脇町 幸町 昭和町などはまだ完全な水田地帯で、ちなみに当事務所のある木太町は、この当時は山田郡木太村で見渡す限りのしっかりした農村地帯であったようだ。  


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