高松風土記6 高松からの街道
さて今回は讃岐の陸上交通の中心である街道筋(高松中心)の分布について見ていくことにしましょう。天保9年(1838)の讃岐国絵図によると次のようになっていました。
1,中筋大道(旧南海道)
大坂峠(阿波国境)→引田→白鳥→町田→田面→長尾→氷上→仏生山→円座→新名→新宮→府中→郡家→原田→吉原→和田浜→箕浦(伊予国境)
2,長尾街道
高松→木太(夷)→池戸→平木→(中筋大道)→長尾
高松から東の方へ行く街道はこちらが主役にもなっていたようである。
3,浜街道
高松→木太→古高松→志度→津田→町田(中筋大道)
4,伊予街道
高松→新居(中筋大道)
5,丸亀街道
高松→新居→国分→坂出→宇多津→丸亀
6,仏生山街道
高松→御林(栗林)→仏生山
高松松平家の菩提寺 法然寺があり、そのためお成り街道とも呼ばれていた。 なお地名になっている仏生山は法然寺の山号である。
7,金比羅街道
高松→→→新居→新名→→→滝宮→岡田→金比羅
↓ ↑
→円座→岡本→→
この街道は地元民の利用が多かった。大阪など上方方面からは丸亀や多度津に上陸してから金比羅に行くケースがほとんどであり、これは明治時代まで続いた。高松藩主が金比羅参詣の折りには、滝宮まで金比羅から出迎え送り迎えがあったようである。なお土器川を渡って西側あたりまでが高松藩領で、少し西に行った小川を渡ると天領(金比羅 神社領)に入ってしまい丸亀藩領は通過しないのである。