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  高松風土記


高松風土記5 高松の災害


 
今回は少しばかり趣向を変えて、江戸時代の高松の災害をテーマにしてみていく事にしましょう。香川県史4・近世2の90〜92頁に掲載されている表23『高松災害年表』を見ていくと、特に目立っているのが火事であり、大地震 落雷 高潮等々であった。


 平成16年8月の台風16号による高潮で高松市内の高潮被害は記憶に新しいところであるが、この『高松災害年表』の中高潮被害の記載を見ると、

 1744年8月10日 高松城下市中に海水氾濫し四番丁に至る。家中屋敷大破45軒、小破78軒、商家潮侵入3167軒

 1761年9月12日 高潮、新塩屋町・新通町等海水に浸さる。などの記載が見られる。


 そして地震被害を見ていくと、1707年10月14日の宝永大地震 1854年4月5日及び11月4日・5日の安政大地震が筆頭にあげられる。宝永大地震は東海・東南海・南海地震が同時に発生しM8.4の巨大地震で、この49日後に富士山の大噴火があった地震、安政大地震は11月4日は安政東海地震(M8.4)、その32時間後の11月5日には安政南海地震(M8.4)そして四国は7日に四国西部の豊予海峡で発生したM7.4と4日間の間に立て続けに発生しているのである。

 さてここで香川県史4・近世の記載見ていくと、宝永大地震では、五剣山(八栗山)の嶺から3箇所大石が崩れたとか、日に45回余震が続き、土地が割れて白い水が出たが次第に濁った水が出て(液状化現象)、潮の満ち引きがいつもより激しく、10月中は本宅に入れず小屋生活であったそうである。安政大地震の方では、4日の大地震はあまり激しくなかったが5日夕方の大地震は相当激しかったようで、この日の午後11時過ぎには大きな余震があり、その他の余震もあり、高松においても津波があり、その後潮の満ち引きが通常より激しく、そして庭や田畑での露営して11日頃までこの状態が続いたようであった。前者の宝永大地震より被害はより大きく、高松城下は混乱を極めて物資が不足して苦しんでいた。


 火事被害で最も被害のひどいのは、1718年元旦の火事では、木蔵町(現扇町)で出火した火事は折からの強風で東へ延焼していって、西通 紺屋町 丸亀町北部 百間町 大工町 今新町御坊町 本町 築地町 内町などほぼ現在の市街地の北部一帯が消失したほどの大火だったようである。

 本記事の年月日は旧暦で表記しております。

 一般には安政大地震と呼ばれていますが、実際はこの後11月27日に嘉永7年から安政元年に元号が変わっているので、実際は嘉永大地震というところなのでしょう。


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