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  高松風土記


高松風土記2 ため池


 高松は瀬戸内式気候で降雨が比較的少ないために、干ばつや水不足に伴う飢饉が多い地域の1つであり、このためにため池の造築が非常に多い。またこのような事情から特に農業用水にかかる独特な水利慣行や部落同士の争いが非常に多く、香川県史などの郷土史文献にもその事がページを割いてまで掲載されているほどである。


 江戸時代のため池工事の様子を見ていくと、工事の際には藩の許可が必要であり、工事に着手といっても設備機械など一切なく農民の労働力が唯一なのでおのずと延べ人数数万人以上の規模となってしまう。ただ高松藩のケースでは必要な材木などの資材については、藩所有の材木を使用させたりしていたようである。そして扶持米(手間賃)の支払いは行われていたが、その支払い方法がその都度米や賃銀で支払われず、その時々において村毎に石数を渡していた模様であった。しかも個々人の時点では暮(年末)勘定の時に、自己の年貢と1年分の扶持米の差し引き清算ということであり、働いた直後は何も手元にないということで驚きひとしお状態なのである。

 また藩に頼らない例えば地元で負担する私的工事もあったようであるが、前出の藩直営工事との差は、直営工事だと藩領内広くから労働者を集められることと、若干の扶持米の支払いが藩からある程度であり、工事にかかった費用などは直営・私的関わらず、その池の村・利用者に広く負担が割り当てられることになっていた。しかもこの割り当てが平等ならいざ知らず、池に近い集落ほど費用負担が少なくそして池の水配分が有利な反面、池から遠くなるにつれて負担が多いにもかかわらず池の水配分において差別的レベルで極めて不利なのであった。例えば高松市木太町の例(木太町郷土誌によると)では、三郎池から配水をうけている部落で用水関係の経費負担割合が、経費負担の63パーセントは平等割 残りの37パーセントが傾斜配分で木太が15パーセントなのに三谷は8パーセントと違っていたのである。戦後の農地改革においても慣行だからとそのままにされ、すべてが平等割になったのは昭和52年の農林省政令布告以後という有様であった。


 さて高松市内の主要ため池のほとんどは17世紀に築造・増築されている。   
 1628 三郎池(三谷町) 小田池(川部町) 
 1635   神内池(西植田町)
 1653   奈良須池(岡本町)
 1655   松尾池(西植田町)     
この時期に集中して工事がなされたのは、藩の財政を安定させるためであり、年貢の安定化を図り、また新田開発を行うためでもあった。これらの池の所在地はちょうど山から平野の境目付近の地形を活用されているようで、いずれも高松市の周辺部(香川郡 綾歌郡 木田郡境付近)に集中している。


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