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サンクトペテルブルク紀行 2001.5.28〜6.3
1 ピスカリョフ墓地 6.1


 さて01年6月1日・3日目を迎え観光も今日が最終日となる。今日の最初の訪問地はピスカリョフ墓地である。ここは大祖国戦争の時にナチスドイツ軍に1941年から1944年までの間900日間包囲され、約100万人とも言われる軍人や市民が亡くなった埋葬地であり、そして市民だけでなく外国人もかなり訪れる著名な墓地である。

 まずホテルの地下の駅から地下鉄に乗車し、2つ目のマヤコフスカヤ駅で下車した後連絡通路で蜂起広場駅に行き右側の地下鉄に乗車して5つ目でムージェストヴァー広場駅に到着する事になる。順調よく行ける・・・と思いきや4つ目のリェスナーヤ駅についたとたん乗客が一斉に降り出すではないか、あれれ・・・おかしいと疑問に持ちながらおりて地上に出ることになる。こういうとき公営交通機関の場合駅前から大抵は代替バスなどがあるはずなので、 しばらく駅前で様子を見る。すると80番の連接バスが複数出てきたので、近くのロシア人に確認してから乗車、バス代は代替バスのためタダだった。そしてムージェストヴァー広場駅前に到着後乗り換えなきゃいけないが乗り場が分からない。しばらく右往左往してみたところバス停を発見して123番のバスが運転されている事が分かった。で再び地元の人にピスカリョフ墓地に行けるのか聞いたところ、どうも横断歩道を渡った反対側のバス停からと言うことを教えてくれた。そしてバスに乗ろうとしたが午前10時近くなのにぎっしり満員状態、どのバス停でおりたらいいのか不明・・・さあ困った当たりの人に聞いてみたが私のつたないロシア語能力が限界、やがて私もそこでおりるからついてきなさいと言うことになり助かった(3番目ぐらいのバス停だった)。


 ピスカリョフ墓地 正面 

 現地は片側4車線の道を押しボタン式信号で渡った先に墓地の入り口があった。入り口から進んでいって見ると正面に慰霊の為の火がたかれていて、これはロシア共通の方式である。そして正面離れたところに慰霊碑があり献花台があり、両サイドに墓標が数多くあったがどう見ても集団墓標であるようだ。慰霊碑へ進むにつれ墓標のほとんどが1942年のものが非常に多いことが分かる。これは歴史が示すとおり包囲された最初の冬に多くの市民が戦火に倒れ食糧難の中なくなった史実通りなのである。両サイド奥が深く背後は木々に覆われていた。年配のご婦人が墓地内の掃除や管理をしているのを見受けられる中、所々スピーカーがニョッキリ立っていて静かな音楽が流れていたのが不思議であった。この日晴天に恵まれ慰霊碑の前で私は静かに黙祷をして、これらの方の慰霊をさせていただきました。帰りに入り口の門の両側に展示コーナーがあり、ここにターニャ(10歳にもならない少女)の日記がある時いていたので展示コーナーに行ってみた。確かにあり、家族・親戚が次々亡くなっていく内容が記されているのが何ともいえない内容である。その他町がいかに包囲を克服したかを地図・写真付きで展示していてわかりやすかった。なおこの墓地の写真が私のHPにありますので参考してください。




 ピスカリョフ墓地 慰霊碑 

 帰りは楽々でバス停に時刻表があり1時間に4,5本運転していて、やがて行きのバスと違う黄色バスが来た。しかし1人いた地元の人はタクシーだといって乗ってこなかった。乗ったところがらがらで中が非常にきれいであり、やがて係りのおばさんが来てきっぷを買ったところ行きより3ルーブル高い7ルーブル払わされた。路線タクシーがあり中には大型バスの車両と言うこともあるとは聞いていたが、どうもそれに乗ってしまったようだ。路線表示が行きは123でくそぼろバス、これは123Tの表示していたなあ。 ムージェストヴァー広場駅で80番のバスに乗り換えだが、今度は123Tのバスを降りたバス停から乗るようであった。地下鉄で蜂起広場駅まで戻り次の目的地スモーリヌイ修道院へ向かうことにした。


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