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シベリア鉄道ぶらりひとり旅 1995.8.24〜9.6
14 モスクワ市内探訪 9.4〜9.5

 こうしてこの日の午前中はクレムリン観光で過ごした後に、レーニン図書館から地下鉄に乗車してから、2つ目の文化の森で環状線に乗り換えの後に1つ目のスモーレンスカヤで下車した。どうしてここに来たかというと、キエフ駅を見ておきたかったのと、「この近くの公園は浮浪者の集まっていて危ない」とされていたので興味半分というところもあった。


 このキエフ駅は、クレムリンから見ると西の方にあり、ウクライナ,ブルガリア,ルーマニア方面の列車の発着駅になっていて、ヤロスラブリ駅よりも作りが重厚な作りとなっていた。駅の周囲は噂の通り変なおばさん・おじさんがたむろしており、駅前の公園には若者が平日の日中に関わらず座っていたのであった。それも道の両側一杯にいるのですから奇妙な光景です。まずモスクワ川に出てみるとロシア外務省の建物があったが、この建物はモスクワ市内に7つあるスターリン様式という派手な建物であり遠くから見てもしっかりと分かるほどである。そして少し北に歩いてみると、ロシア連邦議会ビルとモスクワ市役所が対岸に見えてきた。ロシア連邦議会ビルは91年夏のクーデター事件の現場であり、またその後ルツコイ副大統領(この後に失脚)1派が立てこもり銃撃戦が繰り広げられた正に歴史の現場なのである。またモスクワ市役所の建物は、もともとコメコン(経済相互援助会議)の本部があったところであった。コメコンはEC《欧州経済共同体》(現在のEU)に対抗して東欧の社会主義国家が結成した組織である。


 次は再びスモーレンスカヤから環状線に乗って4つ目の平和大通りで乗り換えて、今度は3つ目のウェー・デー・エヌ・ハーで下車するが、以前にも書いたように地下鉄駅構内が美術館のように華麗な内装なので、ついつい歩みがゆっくりとなってしまう嫌いがある。ここは全ロシア展覧センターという展示場となっていて、周囲は大都市公園となって憩いの場でもある。ここから西に向かった所にオスタンキノテレビ塔があり、ここにいけば市内が一望できてさぞかし良いだろうと思ってやってきたわけである。周囲はアパート街であったが、多民族国家のロシアでは私でも不審者でなく住民のふりをしておれるわけである。道は広いし並木も豊富だしテレビ塔なので道に迷うことなく20分散策した。ところが塔の下に着いたら様子が変であった。どうも営業しているふしがなかったのであり、とんでもない大はずれであった。これでは仕方がないので引き上げることにしたが、ちょうどトロリーバスの乗り場があったのでそこで待つことにし、どうせさっきの地下鉄の駅近くに行くのだろうしね(違ってたらどうするのかしら・・・)。やがてやってきたトロリーバスに乗車した。このバスはどういうバスかというと、路面電車に線路がなくタイヤで走っていて屋根の上にポールがあって電気で走行していると想像してみてください。ちなみにこのバスは連節バスでバスの車体が2両くっついていました。


 さてトロリーバスに乗っていて、「どうやってきっぷをのかな・・・とあたりを見ても車掌は乗てないしどうしょうか」と思っている内に終着に着いてしまい下りることになってしまい、乗車チエック受けないままとなり無賃乗車となった。そしてウェー・デー・エヌ・ハーから地下鉄に乗り5つ目のツルゲネーフスカヤで下車し、連絡通路でチースィエ・ブルドィに移動し2つ目の駅アホードヌイ・リャトに帰ってきた。ここでまだ時間があったので国立歴史博物館に行こうとしたが、ここは改装工事の真っ最中で入ることができなかった。それならモスクワ歴史再建博物館に行ってみたが、ここも閉鎖中でありまったくついてなかった。もう仕方がなかったのですこしあたりをブラブラしてからホテルに引き上げることにした。


 9月5日今日でロシア滞在も最後の日となってしまったが、帰りの飛行機は19時20分なのでほぼ1日使える。今日はレーニン廟をまず初めに訪れることにする。レーニンといえばロシア10月社会主義大革命(ロシアの暦では10月25日だったため)の指導者であり、ボリシェビキを組織してソビエト社会主義共和国連邦を1921年に創建された革命家である。レーニンは1924年に病気で死去されたが、この遺体を安置しているのがこの廟であり、旧ソ連時代は神聖な場所として、ソ連国民の長蛇の列をなしていても訪れる場所であった。では現在はどうかというと、以前ほどの長蛇の列はなくなっていたが、月,木曜日は休館でしかも朝10時から3時間しか公開しないので余程要領よく日程に組まないと参列できない。 その上公開中は赤の広場の交通規制が厳格に行われてしまい、広場に通じる道にはバリケードが敷かれ自由に歩き回ることができなくなってしまう。入場は廟の北側のクレムリンと国立歴史博物館の間からのみで、退出は南側へ抜けるようである。15分ほど並んでいたら廟に入場できて、階段を下りてしばらくするとレーニンの遺体が安置されていた。死後70年程たっているが防腐処理がきちんとなされているのか、意外なほどちょっと眠っているぐらい綺麗なのである。ここではガラス張りなのでしっかりと見ること可能で、一応正装をまとっているのである。それからは廟の後ろから退出すると、クレムリンの壁に沿ってロシア及び国際共産主義者の墓が並んでいた。ここでの墓は質素なのもあるが、大体は亡くなった指導者などの尊顔があって何故か非常に分かりやすい。少々ロシア語ができなかったってその御尊顔をみれば「誰々・・・」などとわかってしまうのである(ただロシア・ソ連の歴史を知らないといかがと思うが)。中に故アンドロポフ書記長,戦前の日本の共産主義者の片山潜のお墓を確認している。そうして南側より退出してからモスクワ川を渡ってから背後を見ると、ニュースでもよく背景として登場する風景・・・モスクワ川に映えているクレムリンの城壁と内部の建物が見えて思わず立ち止まってしまうほどであった。


 さてモスクワ川を渡って南へ1キロ程歩いていった先はトレチャコフ美術館(旧館)である。中に入館したら時間を要しそうなので、入館料の不要なさわりのコーナーをのぞいてみることにした。といってもやはりいいものが展示してあって、また売店には手を出したくなるような物が多数あるので目移りしてしまいそうである。ここはまたモスクワに訪れたときにゆっくり鑑賞することにして、地下鉄の駅トレチャコフスカヤに移動した。途中キタイ・ゴーラドにて下車し連絡通路でセルブ・イ・モーラットから別線に乗り換えする。そして2つ目のプーシキンスカヤで下車した。


 
ここの駅の上にはプーシキン公園があり、ロシアの偉大な詩人であるプーシキンの銅像がある。丁度昼時になったので腹ごしらえとなるが、この近くにマクドナルドがあるようなので「ロシアバージョンはいかがなものか・・・」と興味があったので行くことにした。店舗は1階建てはあるが注文カウンターは7つはあるようで、屋内,屋外(冬はどうするのだろう)席あわせて200席はあるように見えた。さて日本ならばカウンターにメニュー入りの写真があってセット物があるから、注文時には「エタ・バジャールスター(これ下さい。)」で行けると思ったら、ここではそれがなかったので上を見上げたら、日本でもお馴染みのメニュー板しかないし、当然ロシア 語である。さあー困った・・・「ビックマック」といってみたが美人のおねーさんは怪訝そうな顔される(要は通じてない)。えーとロシア語ではなんといってたっけ・・・そうそう「ボリショイ・カムプルケル(大きなハンバーガ)」といってみたら通じたようである。 今度は「マックフライ」を注文したが同じように通じなかったが、隣のカウンターで買っている人がいたので「エタ・バジャースター」でOK、そして「コーカコーラ」だけはしっかり通じるようである。以上で1万6千ルーブルでレジの数字をみれば分かる。味の方は日本と変わりなくホッとするのである。


 この後は近くの中央革命博物館に行ってみることにした。ここはロシア10月社会主義大命関連やそれ以後の旧ソビエト時代のセンセーショナル的展示物の写真や現物が所狭しと並んでいる。ロシア語は余りよく分からないけど、お馴染みの写真や展示物をじっくり足を止めながら館内をまわったせいか、ここで2時間近く滞在してしまった。あと2時間しか残り時間がないので、インツーリストホテルまでの1キロあるドヴェルスカヤ通りを南東に向かって散策することにした。 あちこち店をのぞきながら見ていると、日本のような味気ない鉄筋コンクリートの建物ではなくて、石造り建物や装飾に凝った建物が並んでいて趣のある通りだなぁ・・・と浸っていたら、石畳の石につまずき転んでしまった。すると周囲のロシア人に「・・・イェポーニャー(日本人)・・・」とバカにされているようであった。



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