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シベリア鉄道ぶらりひとり旅 1995.8.24〜9.6
06 イルクーツク巡り 8.30


 さて
1995年8月30日のになったばかりの0時過ぎ、イルクーツク到着までわずかとなった。同室の3人は眠ってはいたが私がイルクーツクで降りるのは伝えていたので、わざわざ起きてくれたのである。この3日間がまるで1週間のように長く思えた時を過ごしたのが、非常に名残惜しかったが、別れの挨拶とお礼を述べホームに降り立った。すると女車掌さんが名残惜し
そうに声をかけていただき、私も下手なロシア語で感謝とお別れの挨拶を述べホームを去った。


 さてこの後が大ハプニングで、手配していたホテルのトランスファー(出迎え・有料)の係員とはぐれてしまい、何とはなしに日本と同じ要領で駅舎を通り駅前に出たら、急によってきて明らかにタクシーとわかったので、実はこの時これが出迎えの車だと思っていた。でバウチャーを見せてロシア語で話しては見たがどうも要領を得ないのである。なんか様子が変ではあったが、すでに我がスーツケースはトランクの中だし、真夜中でどうしょうもないのでホテルまで行かせた。が運転手は「今ホテルに行ったっても無駄だぞ」っていう事を言ったので、「とりあえず行け」と指示した。私はだいたいイルクーツクの市街地の地理感覚をつかんでいたので、しばらくしてホテルと関係のない方向へ行っていることがわかった。それで「ニエット(違うと言うロシア語)、あっち行け」と指さし、かろうじて乗ってから40分してホテルの近くまで行かさせた。そしてホテルが見えてるのに往生際が悪いのかまだ反対方向に行こうとしたので、すかさず「ニエット、こっちやで」とホテルの玄関まで生かさせた。でここでスーツケースはトランクの中なので、降りたとたん急発進されてはかなわないので、料金(ドルで法外な値段)を支払う前に、荷物と引き替えにチップをはずむといってスーツケースを我が手に確保した次第である。そして助手(このタクシー何故か乗務員が2人いる)に英語で「イルクーツク・ミットナイト・ガイド・サンキュー」と言ったら苦笑いしていた。皆さんは海外ではくれぐれも変なタクシーに乗らないようにしましょうね



 ホテルはこの町の高級ホテルの「インツーリストホテル」で真夜中の2時近くになっていたが、私が訪れるのはモスクワのインツーリスト本部から連絡が行っているので、係りのおねーさんはなんと待っていてくれていたのであった。フロントはすでに閉まっていたが、旅行会社の出先の事務所(インツーリスト・ロシア国営旅行社)側がフロントの代行をしていたので、所定の手続きに従い、パスポート・ビザ・バウチャー(旅行クーポン券)を預け、ホテルカードをもらい、そしてエレベーターで上がってデルジューヤナ(各階の係員)から部屋の鍵をもらってから、ようやく部屋の人となった頃にはすでに3時近くになっていたのであった。


 さて翌朝(8月31日)8時半に起床しやがてに市内ぶらり歩きに出発した。ところが少し肌寒かったので上着を取りに引っ返すことになる。この時すでに日本でいえば晩秋11月初旬の気温であったからだ。インツーリストホテルの前はアンガラ川で川幅が500bぐらいあるように思える程広く、また水流が川の割には大変早かった。そしてここは川沿いに散策できるようになっていて、地元では通称公園通りと言われているようだ。対岸にはイルクーツク駅が見ながら歩いていたら1つのオベリスクに行き着いた。これは帝政ロシア時代の19世紀の東シベリア提督を勤めたこともあるムラビヨフ・アムールスキー伯爵の記念碑である。ここからアンガラ川を背に向けこの町のメインストリートであるバリシャーヤ通り巡りとなる。とはいっても2車線の車道に車はそんなに走ってない割には、歩道はしっかり整備されており並木は紅葉している途中であった。さすがシベリアのパリと言われるだけあって、周囲の独特の木造建築と相まってロマンチックな感じがしてならなかった。やがてスタジアムが見え路面電車の線路と交差することになったので、これに沿っていくことにした。ホームはなく直接道路に降りるようだが安全地帯も無いようだ。しかし車の量もそんなに多くなかったので支障はない。途中異様にアイスクリーム売りが多かったので、1つ買うことにした。日本でいえば縁日で売られているシャーベットに近い物であったが、これが2千ルーブル(当時日本円で約40円)で大変安いし案外とおいしかった。時たまイタリア製のチョコバーの入ったアイスも売られていたがこちらは前者の2.5倍もしていた。


 そしてここでも市場に入ってしまった。というのも明日からの3泊4日のモスクワまでの特急「バイカル」の旅での食料調達をもかねているからであり、おもに果物や気軽にかじれる野菜類また黒パンを中心にたどたどしいロシア語で買うのである。ウラジオストックより規模が大きくしかもデパートがあったので試しに入ってみた。すると商品がたくさん陳列されていたが、おそらくこれらの商品は韓国や中国からの輸入品ではないかと思われた。1階には両替所があったので手持ちのルーブルも少なくなってきたので両替しょうと並んでいたら、ちょっと若いあんちゃん風の若者がそくさによって来た。やがてには「俺とドルと交換しないか」ということになり、「お前はモンゴル人か」と聞かれたので、「ウランバートル(モンゴルの首都)から来た。」と適当にあしらったが十分これでも通用するのであるから不思議である。でついにいわゆるやみドル交換を実体験するが、結果は若干の損失で終わった。このようロシア旅行では少しずつ両替しながらルーブルを調達するのが普通である。


 さて市場で買い込んでしまった、昼食のために1度ホテルに引き上げることにした。この日(8月30日・・・前号冒頭の8月30日は誤り)の昼はなに食べたのか記憶がないのだ。多分時間がもったいないので軽く済ませたのだろう。


 昼食後再び町巡りに歩き出すことし、まず1853年12月にペテルブルクで貴族の反乱でこの地に流刑された貴族が過ごした邸宅デカブリスト(12月の人たち)の記念館へ行くことにした。その1つトルベツキーの家へ向かったが、ここはあいにく休館状態となっていて入館できなかった。しかし建物は木造建築で建築当時の様式がそのまま保存されていた。そしてなによりも周囲も自然のまま(決してコンクリートで固められてはない)であったのが喜ばしかった。そしてこのデカブリストの記念館はもう1つウォルコンスキーの家があるのでそちらに向かった。ここもトルベツキーの家に負けないほどの建物で、中はデカブリストたちの関係展示物やロシアの偉大な文学者トルストイ関係の展示物があり、半分ロシア語の解説は分かんなかったがすっかり見入ってしまった。入館は有料で6千ルーブル(日本円で120円)なのでタダ同然なのである。そしてここで土産物コーナーがあったので、マトリョーシカ人形(中から次々と小さい人形が出てくる)を2つほどを24万ルーブル(4800円)で買うことにした。1つは中から6つの同じ柄の人形が出てくるごく普通の物、もう1つは中から4つ出てくる悪趣味なものである。この悪趣味のとは、旧ソ連・ロシアの国家指導者の人物を描いているもので、店員も怪訝そうな顔をしていた。おかげでこの指導者の名前を順番に言わされ、私が「エリツィン・ゴルバチフ・ブレジネフ・スターリン・レーニン」と答えると正解だったようでようやく売って貰えた。そし振り向いたとき写真集が目に留まったので、女性の店員のところへ行くと日本語で「こんにちは」と声をかけられびっくりした。この写真集はこのイルクーツクの街を紹介したものらしく「いくらするのか」と訪ねた。すると支払いがルーブルだと10万ルーブル(2千円),ドルだと25ドル(2,500円)と答えた。私は手持ちのルーブルを温存したかったのでドルで支払ったらえびす顔であった。要は個人的にドルが欲しかったのである。


 さてウォルコンスキーの家を出た私は、次の政治運動の歴史博物館のキーロフの家へと向かうのであり、散策しながらの移動であったが程なく着いた。管理人のおばさんに入場料を払ったら最後で、訪れる人もなかったせいか館内の解説を熱心にやってくれるのには参ってしまった。だって私はロシア語はそんなに堪能ではないので(謙遜して言っているのではないのですぞ)、半分以上理解できないのです。そんな事情そっちのけでひたすら続くので、分かったようなふりをしなければならないのがつらかったんです。このように嵐のようなひとときをすごしたが、最後は謝辞をロシア語で述べてから後にするのであった。


 こうして市中に戻ってやがてキーロフ広場へ出ていた。この広場も小公園風で広くそこそこの野外集会程度なら開催できるほどであり、日中主婦が結構たむろしていた。少し方角を変えてみてアンガラ川の方へ行って見ると、永遠の火というところに着いたのである。これは対ナチスとの戦いであった1941年から4年間の大祖国戦争の戦没者を悼む場所で、ここの火はこの名のごとく火が消えることなくともされているのである。このような場所はイルクーツクだけでなく旧ソ連邦の至る所にあり、5月9日の対独戦勝記念日には追悼の場所となり、数多くの旧軍人が勲章をいっぱいつけて駆けつけてくるのである。なおこの5月9日はソ連崩壊後ロシアになっても依然として変わることなく祝日とされている。このように過去を偲び平和の尊さを願うのであった。


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