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シベリア鉄道ぶらりひとり旅 1995.8.24〜9.6
05 特急ロシア号 3日目 8.29


さて8月29日ロシア号の旅も3日目となる。この日の朝8時(日本時間7時)頃にはウラジオストックから約3,000kmを走行しており、やがて東シベリアの拠点の1つであるチタに到着しつつあった。同室のバーニャとジェーニャともなれて、朝の挨拶「Доброе утро(ドーブラエ・ウートラ/おはよう)」で今日1日が始まった。私はシベリア鉄道の旅がなぜロシア式ホームステイと言われるゆえんが分かるような気がした。そこには何もないが余りある時間と空間の中に国境を越えた言葉も満足に交わせられないが、人間同士の暖かいふれあいがこの旅に感じられるのであった。今多くの日本人が海外旅行をしているが、その多くは日本の生活をそのまま持って出ただけの贅沢なかつ時間の非常に限られた一通りの旅になっているのではないかとこの時思ったのである。


 
このようにウラジオストックから3人でのびやかな旅をしていたが、夕方ウランウデに到着した。ここで20分の停車時間があるのでいつものようにホームを散策すると、日本にいるような感じがしてならなかった。というのもここはモンゴル系のブリャート人が多く居住しているので、この私でも現地人と勘違いしてロシア語で現地の人に話しかけられる程である。そしてここから私のコンパートメントにロシア空軍の現役軍人が制服で乗ってきたのである。これは私の一番恐れていたパターンで「軍人はやっかいだ」と聞かされていたからだ。ところがこの軍人さんインテリで話の分かる方だったのでまず安心・。私は昭和51年函館空港に強制着陸したミグ25のベレンコ中尉の話をして、「ミグ(戦闘機)の操縦士なのか」と質問したら「スホーイ対地支援戦闘機の操縦士」と答えが返ってきた。この話がきっかけで、ろくにロシア語をしゃべれない私だがこいつはただ者ではないと思われたのか態度が変わった。ところでジェーニヤとバーニャの二人とこの軍人が1時間ぐらい派手に議論をしているのを聞いていてそら恐ろしかった。内容が民族か政治系のような内容だったからであったからだ。その後一息ついて私がウラジオストックで入手した特急「オケアン号」のバッチを見せながら話題を話すと、この軍人さんバックをごぞごぞし出すので、何が出るのだろうと思ったら肩につける階級章が出てくるではないか。これをなんと私にくれるではないか。見た目には少佐あたりではないかと想像した。


 列車はやがて世界最大の湖であるバイカル湖にさしかかり、現地時間(日本時間も同じ)では夜の8時半になっていたがまだ明るかったので、バイカル湖の風景を十分堪能する事ができた。シベリア鉄道はバイカル湖すぐそばを1時間以上にわたって、その神秘さを見せてくれるのである。そして反対側はすぐ後ろまで山が迫ってきていた。このあたりは1904年日露戦争中に開通した区間で難工事区間にもかかわらず突貫工事が行われた。もし1年開通が早ければ日露戦争の行方が変わっていたかも知れない・・・そんなことを思いつつ湖面を眺めていたのであった。しかしやがて見飽きたのと少し暗くなってきたので、コーヒーを飲もうと湯沸かし器の前にたったら女車掌が出てきた。車掌は車掌室の隣にあるトイレ兼シャワー室をあけ、蛇口をスパナーでごぞごぞしてシャワーを取り付けだした。そうして普段は乗務員用ではあったここを好意で使えることになった。ウラジオストックでもホテルのお湯が出ず満足に頭が洗えてなかったので、それをたぶん見かねたのだろうと思う。しかしちゃっかり2ドル請求されたがここは車掌さんの好意に甘えることにした。でお湯は湯沸かし器が各車両に1台大容量のが搭載されているのでしっかりと出た。洗面台以外に水をこぼしても床に栓をあければ線路に流れる用になっているので心配は不要であった。ということは乗務員はここで毎日の垢を落としていることになるのである。そしてつたないロシア語で車掌にお礼を言いに車掌室に行ったら、シベリア鉄道のドイツ語版のパンフをいただいた。本当に担当の2人の車掌から私をみたら息子ぐらいの年齢にみえたのか、イルクーツクまでの道中いろいろとお世話になった。

 スリュジャンカについた頃はもうすっかり暗くなっていたが、ここで20分の停車でホームの散策をするため降りてみることにした。すると夜も10時になっているのに売り子が多く、そのほとんどが焼き魚であった。これはバイカル湖名物の「オームリー」というサケの1種で、これなら日本人の口に合う食べ物である。多くの人が買っていたので私も一つうら若き女の子から買うことにしたが、この子どう見ても売り子のように見えず副業なのだろうと察した。値段は当時価格4千ルーブル(日本円で80円)だった。塩味で香ばしくおいしく1匹を食べてしまった。そして後2時間少しで下車するイルクーツクに向かうのである。






ロシア号のきっぷ ウラジオストックからイルクーツクまで
  第1列車 8号車 9番寝台 乗車キロ 4106q



ドイツ語バージョンのシベリア鉄道パンフレット


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