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シベリア鉄道ぶらりひとり旅 1995.8.24〜9.6
02 ウラジオストック巡り 8.25〜8.26


 95年8月25日14時20分発のロシア・アエロフロート機で富山を飛び立った。もうすでにロシアの世界で、機内放送はロシア語だけであった。しばらくしてミネラルウォーターが出されたが、これから泡がたっていたので炭酸入りウオーターだろう。日本で一般的なミネラルウオーターは、「ナチュラル」と指定しないと出されないしどこばれないようだった。そしてやがて軽食が配られて、日本海を眺めながらのんびりと食べていたら、後20分で到着するという感じであった。そうするうちに陸地が見えてきて空港に着陸したが、日本の航空機が着陸するときにありがちな「ドスン」という振動もなくスムーズだった。この空港やたら広くて空港ターミナルまで遠くいったいどこまで地上を走っていくのだろうと思った末に着いた。タラップを降りて連接バスに乗せられたが、行くのは目の前であり歩いた方が早い気がしたほどだった。ターミナルビルに入ってまず入国審査だが、パスポートのチェックと入国ビザの1部の回収ですぐ終わった。次に自己の荷物を受け取り税関審査に赴いた。荷物をカウンターの上に置いたがそれはチェックせずあらかじめ記入した税関申告書を提出したがそれは特に持ち込み外貨のチェックをしてスタンプを押されて返された。   


 これで晴れてロシアツーリストになったが、ここで予め手配しておいたトランスファー(出迎え・有料)の係員と出会わなくてはならないので、旅行会社のバッチを付けてロビーにいたら程なく現地旅行会社の係員が来た。この方はロシア国立極東大学・日本語学科の出身で日本語は堪能で、来日経験もあって、児島側から瀬戸大橋も見たことのあるとのことだった。

 まずロシア貨幣ルーブルの交換だが、どれぐらいしていいのか検討つかなかったので、この方のアドバイスで2千円を両替することにした。この両替所は国立銀行直営だったのか厳格で、2千円を出すとパスポートの提示を求められた。そしてチェックの後に両替証明書とルーブルをくれた。この両替証明書は出国時に余ったルーブルを外貨に再両替するときに必要となり、このルーブルは国外持ち出し禁止になっているので無くすと大変です。でもくれたルーブルは、千ルーブル札の束(100枚)の10万ルーブルで、私はパニックを起こしてしまいロシアの物価感覚をつかむのに2〜3日かかるほどであった。このお札はロシアとしては珍しく新札であったの が1つもの救いだったが、その珍ショッピングぶりについては以後のお話に譲ることにしたい。


 さて空港から車で1時間程して今夜の宿であるウラジオストックホテルに到着した。そして現地旅行会社の係員の誘導でまずチエックインをした。 手順としてはパスポートとビザを提示して、それから最低一晩は預けなければならないので回収される。というのはホテルは外国人が宿泊したことを24時間以内に警察に届ける義務があるようだ。その証拠に翌日チエックウトの時にこれらが返されたうち、ビザには宿泊したことを示すスタンプが押されていた。そしてホテルカードを渡される。これになんとビザの番号が書かれていて、治安の怪しいのでこれをガードマンに見せないと客室棟には宿泊客でも入れないのである。でフロントの役目はおしまいで、 次に旅行会社のホテル内の事務所に行き、日本の旅行代理店の発行した予約券(バウチャー)を渡す。これは翌日の朝に、シベリア鉄道のイルクーツクまでの切符の発券と残りのバウチャーの発券が渡される。ここで渡されるバウチャーは日本で発券されたのとは別の用紙であり、ロシア語のしかも筆記体で書かれているので訳わからない。しかしアラビア数字な
どがあるから何となくわかるので、確認しておかないと後々困ることになる。ロシア旅行でこれにトラブルがあったり無くしたりしたら終わりを指すほど大切なものである。 部屋の鍵はどこでもらうのか不思議にはならないですか、そうロシアのホテルでは各階のほぼエレベータの前あたりに女性係員(デジュールナヤ)がいるので、この係員から部屋の鍵をホテルカードを見せて貰うのである。彼女たちはお客のサービスをほぼ3交代24時間対応しているわけで、日本のように何かあってもフロントに頼んでもなにもしないのである。


 
さてこれで部屋に入ってひとまず室内を観察するとしよう。シングルにしては日本のビジネスホテルの2倍以上あり、床は木で真ん中にジュータンが敷いてある。そしてロシア製の冷蔵庫だが音が大きくてうるさい上に中身は空っぽだった。テレビは韓国ゴールドスター14インチのであり、チャンネル数は3つぐらいで全国ネットの衛星放送であった。その証拠に22時(現地時間)にニュースの時計は15時(モスクワ時間)を示していた。そして浴室とトイレが同じ部屋で、浴槽が無くてシャワーだけだった。トイレは洋式だが日本とは勝手が違っていて、雰囲気としては和式トイレを反対向きに用を足すという風であり、作りも少し異なっている。トイレットへーパーが少しして無く新聞紙のように堅いのには閉口した。冷房が無く暖房はセントラルヒーティングだった。このため少し暑かったので、窓を開けると心地よい日本海の風が入ってきたのであった。


 ロシアの通貨はルーブルであって、95年8月26日現在では1ドル→100円→5千ルーブルであった。当時もの凄いインフレ下で、ちょっとした買い物などでも数十万ルーブルという始末である。さてロシア語のあまりできない私がどうやって買い物をしたかというと、ロシアのちょっとした売店ではガラス越しに商品のサンプルがあり、欲しいものを店員に告げると出してくれるという方式である。だから欲しいものを指して「Это ложалуйста(エタ・バジャールスター)」《日本語訳・これ下さい》と言うと品物を出してくれる。そして「Сколько стоит(スコーリカ・ストリィート)」《これはいくらですか》というと、店員は例えば「три(トリィー)」《3》などというので3千ルーブルを支払うのである。 ロシアの町には大きな市場があって、大抵の食料品はここで全てそろうのであるが、冷蔵するという観念が無く魚や肉などは午前中に買った方が衛生上好ましいと思った(ハエが飛んでいた・・・)。それに肉は塊で売っていたし、一人が1種類のものを売るというようだった。りんごを買うときは、自分の欲しいだけはかりの上に載せると計算しやすいように調整をされてから支払うのである。そしてロシアのパンは黒パンであるが、これは1本単位で買うようになっていて値段がもの凄く安くて1本が2,500ルーブルだった。買ってみると大変堅くて少々ふんずけてもどうもならないぐらいであり、ぱさぱさしているが食べ出すと噛めば噛むほど美味しいパンだった。こんな調子で中国人のふりをして市場歩きもおもしろくなって、この後のイルクーツクへ行ったときも市場歩きをしてしまうほどであり、一般庶民の姿がわかるから良いですね。そしてこの夜は、高級ロシア料理店に行った。席に着くとボーイがメニューを持ってきて注文するのだが、日本と違うのはメニューに金額の書いてないのは当日は初めから無いことである。したがって金額の書いてあるメニューから選択することになり、それと水も有料である点だ。ところが一人で行くと結構量が多いのには閉口するほどである。そして支払いは担当のボーイに直接支払うシステムで、支払いはドルか円かルーブルかと必ず聞くようだ。このとき私はルーブルで支払うと言ったら、94,600ルーブル(約1,900円)の請求だった。ちなみにロシア極東地方の労働者の平均月収が35万ルーブル(約7,000円)であるからいかに贅沢なディナーであるかがお分かりでしょう。


 98年からロシア・ルーブルは1,000分の1のデノミを実施して従来の千ルーブルが1ルーブルとなり、補助通貨のカペイカ(1ルーブルが百カペイカ)が復活しています。



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