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シベリア鉄道ぶらりひとり旅 1995.8.24〜9.6
01 露西亜への誘惑


 今回からこのコーナーは、私が95年の夏に2週間にわたって旅をしたシベリア鉄道の旅でのいろいろな出来事をシリーズものとして書いていきます。多分長期になるとは思いますが。


 そもそも私がこの国に関心を持ち始めたのは、ちょうど米ソ冷戦時代のまっただ中であった1980年(昭和55年)に、モスクワ放送(現ボイス・オブ・ロシア)を受信し始めたのがきっかけであった。この放送は短波と中波両方で今でも放送している数少ない日本語放送である。初は「ソ連が何故悪いように言われているのだろうか」が国際政治面で大きな疑 問であった。そこから始まって聞いているうちに、ソ連の歴史・地理・風土に興味を持ち深くのめり込んでいった。しかし今でも共産主義の思想「 マルクス・レーニン思想」には縁がなかった。次にちょうどその頃朝日新 聞の広告に在日ソ連大使館広報部発行の「今日のソ連邦(日本語版)」を見つけ購読し始めていた。このおかげで当時なかなかのソ連通になってしまった。ちなみにこのグラフ雑誌はソ連崩壊直前の91年1月まで発行されたのである。  


 さてこうなると鉄道好きである私の最大の関心は、全長約9,300`をウラジオストックからモスクワまで1週間かけて走っているシベリア鉄道にいくのは当然の結果であった。ただ当時ソ連太平洋艦隊総司令部のあるウラジオストックは、外国人の立入禁止都市で、また一般ソ連市民でさえ立ち入りが制限されていたのであった。そのため外国人は横浜から船で3日ほどかけてナホトカ(ウラジオストックの東)から入国して、その日のうちにハバロフスク行きの列車「ボストーク号」に乗って1昼夜かけた後に、さらにハバロフスクに1泊した後にようやくモスクワ行きの列車「ロシア号」に乗れるという今では考えられないほど不自由な旅であった。このような調子なので、NHK特集で「シベリア鉄道」が放送されたときは再放送までしっかりと見ていたのであったし、この放送の番組の本や鉄道紀行家の宮脇俊三氏の「シベリア鉄道9,400`」などの本も徹底的に地図を広げながら読んだものであった。


 この旅は予算があっても長期の暇がなかったらとても不可能である。最初のチャンスは85年から4年間の大学在学中であったが、どうしてなのか取りかかれずじまいで卒業にいたってしまった。前職の会社に就職してそこがサービス業だったので、とてもそんな大胆不敵な長期休暇など取れるはずもなく、もう永遠に出来ないものとなりつつあった。もう永遠にこの壮大な旅は不可能と思われたが、91年春に社会保険労務士試験に合格して前職の会社を退職直後なら可能だということになり、94年11月に見事合格して翌95年4月頃に具体的にプランニングなどに着手した。社会保険労務士登録,研修日程,退職の日程などから考えて出発は退職予定日の8月20日以後の8月中の出発と決まった。私は大のツアー嫌いであるから一人旅は当然のことであった。でもここで皆さんに いっておきますが、私はロシア語などはそんな達者な方でなくしかも海外旅行経験なんぞこの当時全くないのに、国内旅行と同じ感覚でいましたからね。まあ何か起これば何とかなるという調子ですから怖いでしょう。


 まず日程だが当初はまずウラジオストックに上陸して、次にイルクーツクで途中下車してモスクワ,サンクト・ペテルブルク(旧レニングラード)を経て帰国の予定だった。ところが予算と特に日程があわただしくなってしまうので、サンクト・ペテルブルクはカットする事にした。後は富山と新潟からウラジオストックへの航空機の出発日を考慮して決めたのが以下の日程である。


 8月24日
 高松出発 JRで富山に入り宿泊

 8月25日
 富山空港から14時20分出発 ウラジオストック17時50分 (日本との時差+2時間)到着後宿泊先に入る

8月26日
 ウラジオストック市内観光

8月27日
 午前0時55分列車乗車

8月30日
 午前0時40分イルクーツク到着(日本との時差なし)宿泊先に入る。そして日中は市内観光

8月31日
 午前1時4分再び列車に乗車

9月3日
 午前6時50分モスクワに到着(日本との時差−5時間)その後は市内観光

9月4日
 終日市内観光

9月5日
 夕方まで市内観光 夜飛行機で帰国の途に着く

9月 6日
 朝成田着 夕方高松到着


 そして予算は50万円以内とした。この頃対ドルレートが1ドル85円前後であったため、旅行会社レートは1ドル100円と仮定した。そして何よりロシア国内の猛烈なインフレも落ち着いていた。しかしロシア旅行は準備や入国手続きその他の独特なシステムがあって、普通の欧米旅行以上に困難だと海外旅行の達人でも言うぐらいで、次回はこの準備面での苦労を紹介しましょう。 


 ロシア旅行の最大の特徴としては、航空券以外はすべて国営旅行社「インツーリスト」が予約のほとんどを取り仕切っている点である。鉄道切符,ホテルなどのリクエストを出すと、モスクワのインツーリスト本部が受け付けをして、日本の旅行社(ロシアなど旧共産圏諸国専門代理店)に結果を知らせる。そして入金が確認されれば予約券(バウチャー)が発行されるのである。これで旅行中現地で提示しながら行くのであり、鉄道切符も現地でこれと引き替えに出発当日入手できる。ちなみにこれがないと次の段階である入国ビザ発行の申請ができないのである。予約がすべて手配できてからビザ申請となるが、この為旅行代理店に代行して貰ってほぼ8日間ほど要するのでバウチャー,ビザなどが手元に来るのが出発直前ということも多いらしい。ビザは3枚綴りで1枚は入国時に回収され、出国時にすべて回収されることになっている。ロシア入国するには建前上招待されない限り行けない事になっているが、日本人観光客は左下のビザの上から11行目にある「ИНТУРИСТ(インツーリスト)」が招待する形式をとることになっている。そしてここが 私の身元保証機関となり、もしもの時は全責任を持つことになる。入国期間は旅行期間だけとなっていて、訪問都市も書き込まれているので、つい気まぐれで他の都市へは当局とインツーリストの許可が必要である。




1995年当時のロシアビザ 別紙方式 出発地・訪問都市が記載されている





旅行の時に使うバウチャー、これは出発時のもので途中で次々と赤い用紙の
エクセンゼルバウチャーに変わる。それも当然ロシア語・・・。
 2つ上 ホテル 送迎タクシー予約のバウチャー 
 1つ上 列車の切符のバウチャー 
 時刻表示はモスクワ時間なので、しっかり現地時間の確認が肝心 モスクワ時間との時差 イルクーツク プラス5時間 ウラジオストック プラス7時間



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