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琴平公園探訪
平成20年7月17日(木)午前に琴平公園に行ってきました。その目的は香川県社会保険労務士会会報記事の1つとして大久保ェ之丞(じんのじょう)を執筆するための取材です。
左下のブロンズ像は、琴平公園の頂上にあり、琴電琴平駅から歩いて30分の標高250bに、下のような景色を眺めつつ?立っていました。そして手にしているのは、ハンドレーベルという簡易高低測量機です。かなりの大きさがあったので撮影は、どうしても下から見上げる形になります。そしてこの頂上には、緯度・経度・標高の測量の時に使用される三角点もありました。
大久保ェ之丞は、明治17年に丸亀・多度津から阿波池田・高知・松山・三津浜間に四国新道を構想し、自ら測量や建設準備や指導などをおこなっています。この道の規格はまだ自動車のない時代に、平均7b幅、並木道や側溝を含めると12b、勾配は最大4lという現代の道路規格にも遜色ないものでした。また明治18年には、猪ノ鼻隧道と吉野川の水をこの隧道の側溝で香川に給水するという、現在の香川用水の構想を提唱しています。また明治22年の讃岐鉄道(丸亀・琴平間)の開通式祝辞では、
是ノ時ニ当テ塩飽諸島ヲ橋台トナシ山陽鉄道ニ架橋連結セシメナバ、常ニ風雨ノ憂ヒナク、午後ニ浦戸ノ釣ヲ垂レ、夕ニ敦賀ノ納涼ヲ得ル。
というように、瀬戸大橋の提唱さえ行っていたのです。
このように大久保ェ之丞は百年先を見据えたものの見方をしており、
笑しゃんすな百年先は 財田の山から川舟出して 月の世界へゆききする
を宴会の席で歌うぐらいでしたから・・・。
琴平公園の頂上の間には、右中写真のような記念碑もあり、以前は頂上まで車で行けるようになっていた模様で、一応トイレや休憩所も整備されていました。大久保ェ之丞のブロンズ像は、昭和35年建立当初は、右下写真にの琴平公会堂(昭和7年竣工)の前庭にあったようで、後に現在位置に移動してきたそうです。
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